起業する際に迷うのが会社の体制。
一緒にいる仲間を取締役にしたり、上場に向けて取締役会設置会社にしたり。親族経営で家族を取締役にしたり。
ペンで有名なセーラー万年筆で社長解任騒動がありましたので、それをもとに会社の体制(専門的には機関の設計といいます)を決める際の参考になるよう見ていきたいと思います。
まずは基本を確認。取締役会のある株式会社の意思決定
会社は所有と経営の分離という原則があります。所有者(株主)と経営者(社長や取締役)は分けるということです。
株主が資金を出しますが、経営できる能力があるとは限らないので、経営者は得意な方にお願いするということが可能になります。
「様々な意見を考慮してみんなで力を合わせて意思決定をして経営していきたい」 日本人には合いやすい思考回路でしょう。
みんなで意思決定。これが取締役会設置会社です。
重要な事項は取締役会で決める。取締役の多数決。
しかし、いつもいつも多数決しているとスピード感が損なわれて経営できないでしょうから、通常の業務における意思決定は代表取締役を決めてその方に任せる。他の取締役は日常は代表取締役の職務をサポートし、取締役会のメンバーとしては監督する。
取締役は株主が決め、代表取締役は取締役のうちから取締役会の多数決で決めます。
これは会社法で決められていています。
株式会社(取締役会設置会社を除く。)は、定款、定款の定めに基づく取締役の互選又は株主総会の決議によって、取締役の中から代表取締役を定めることができる(会社法349条第3項)
取締役会は、取締役の中から代表取締役を選定しなければならない(会社法362条第3項)
要するに、みんな(取締役全員)で話し合って決める会社運営を選択した場合、社長はみんなで決める。その場合、重要な事項はみんなで決めるが、通常の経営上の意思決定は社長が行う。ということになります。
セーラー万年筆で発生した社長解任の内容
2015年12月12日に突然の社長解任のリリースが出ました。
中島氏が解任されました。中島氏は「無効であることは明らか。速やかに法的措置を講じる」とし、14日、この決議は無効だとして、自身が社長である確認を求めて東京地裁に仮処分を申請しました。内容としては、取締役会の招集権限は社長の自分にあり、延期を事前に要請したとしている。
それを受けて、会社側からも解任の経緯が公表されました。
2015 年 12 月 13 日付の新聞紙上におきまして,当社代表取締役の異動に当たり,前代表取締役の中島氏は「社長解職の決議は無効で,速やかに法的措置を講じる」としている旨の報道がありましたが,この報道を受け,今回の代表取締役の異動の経緯につきまして,ご説明させていただきます。
1年ほど前の当社の社内取締役会におきまして,中島氏以外の当時の社内取締役4名は,代表取締役社長であった中島氏に対し,以下の3点を要請しました。
- 私的な活動を控え,会社の業務に専念すること
- 知人が仲介してくる仕入商品を当社に持ち込まないこと
- 当社の得意先回りをすること
当時,中島氏は,当社の業績がはかばかしくないにもかかわらず,講演等の私的活動に時間を割くことが多く,もっと本業に身を入れていただきたいとの要請でした。また,中島氏の知人が仲介してくる,本業とあまり関わりのない新規事業を数多く手がけるものの,成功したものがないことから,こちらも考え直していただきたいとの要請を行いました。
しかし,その後1年が経過し、中島氏に改善は見られないため,平成 27 年 12 月 11 日の社内取締役会において,社内取締役4名より,中島氏に対し,会社の発展のため代表取締役を辞職することを要請しました。
これに対し,中島氏は、代表取締役の辞職を拒否したため,社内取締役会において,翌 12 日に開催が決定されている定時取締役会において中島氏の代表取締役の解職を行うことを決定しました。
これを受け,中島氏は,12 月 12 日の定時取締役会の当日朝,定時取締役会の開始時刻の30分前に,定時取締役会の延期を要請する旨を告げ,定時取締役会を欠席しました。
当社としては,すでに開催が決定され、前日の社内取締役会でも開催が確認されている定時取締役会の開始30分前になされた中島氏からの延期の要請を認めることはできないため,予定通り定時取締役会を開催することとし,開催された定時取締役会において,中島氏の代表取締役社長の解職と比佐氏の代表取締役社長への就任を決議しました。
当社の取締役会は,代表取締役を含めた社内取締役5名,社外取締役1名の計6名で構成されています。
当日は,中島氏と社外取締役が欠席しましたが,6名の取締役のうち4名が出席し,出席取締役4名全員が中島氏の代表取締役の解職議案に賛成したため,定足数,賛成数ともに充足しております。
生々しいですが、書かれていることが事実であれば解任は至極ごもっともというところでしょうか。中島氏が就任してからずっと6期連続赤字ですし。
取締役の多数決で社長の座から降ろされるというのは現実にあります。
さて、この解任された方の経歴を確認してみましょう。
中島氏は旧大蔵省主計局次長時代、破綻した信用組合から現金を受け取っていたほか、銀行からの過剰接待、いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ」遊びの責任を取り辞任。その後、97年に京セラの創業者である稲盛和夫氏に拾われ、同社の理事に就任して北京などで勤務していた(出典 FACTA2006年11月号)。そして船井電機株式会社の副社長に就き、セラー万年筆に入社。前社長の逝去にともない社長に就きました。
官僚を辞任してから京セラに就職する際に「京セラへ就職の理由」を出しています。読み応えが有りますのでご一読をお勧めします。興味深いのが中島氏の文章
「追記」
なお、私の過去の事柄に関連し、様々な報道がなされておりますが、先般、松永大蔵大臣が記者会見で述べられた通り、当時、国税当局により6ヶ月間にわたり、100ヶ所以上に及ぶ厳正な調査が行われ、すべての清算が済まされております。
この調査には私も進んで協力し、過ちは過ちとして認める一方、根拠の無い疑惑は晴らして参りました。報道に散見される事柄のうち、
「“タニマチ”から受け取った資金を借名口座に入れていた」
「カレーショップを営む“愛人”がいた」
「たびたび“京都の宴”に参加し、売春を伴う接待を受けていた」
「“タニマチ”の意を受け、某都市銀行からの債務処理について有利な取扱いを働きかけた疑いがある」
等の記述は、いずれも事実ではなく、極めて遺憾なことであります。しかし、いわゆる二信組事件の中心となった人物と不用意な交際を重ねたこと、大阪の金融会社元会長から政策研究会のための資金援助を受けたこと、直ちに破棄されたとはいえ中国製健康飲料の輸入事業に出資する旨の契約を一時的に交したこと等については、公務員としての基本的な心構えに欠ける行為であったと深く反省しております。
いずれにしても、このような様々な報道がなされること自体、すべて私の不徳のいたすところであり、厳しい反省の上に立って、今後の人生を真剣に築いていきたいと考えております。
わざわざこんなことを書かんでも。記載にあるように、当時は、大阪の金融会社元会長から1億円を超える資金援助を受けながら納税していない(脱税!?)という驚愕の事態がありました。国税を管轄する大蔵省の超エリート官僚が所得を隠して納税しないという。。。
解任された社長側からも東洋経済に反論のインタビューがあります。
こういう話は両方のサイドの意見を評価しないと正しい判断は不可能です。今期の2015/12期は9年ぶりに経常黒字になりそうと正当化されています。もう12月で最後の月になりますので2月にでる決算書でどのような状況かわかるでしょう。
2015/12/24 追記
最終的には解任された社長が折れて収まりました。
以上、いかがでしたでしょうか。
起業される際に取締役会を置くかどうかはメンバー次第というところでしょうか。
原則的にはリーダーが意見を聞きながら最終的な意思決定をして責任を取って行くのが小規模の会社では、成長が早い設計だと思います。
ただし、ある程度の規模になり、人材も厚みが増して来た場合には取締役会を設けた会社のほうが、成長の余地を広げられるでしょう。
ただし、株式が50%超保有していない場合は、この事例のように解任される可能性がありますので、留意する必要が生じます。
会社の発展のためにしっかりと経営をお願いします。